怨憎会苦の回避方法としての「働く」ということ

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【これは約 4 分の記事です】

少し前の記事ですが、後10年後に消える・なくなる職業という投稿がありました。

オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」702業種を徹底調査してわかった
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40925

グーグル創業者が語る働き方の未来 「もう必死に働かなくて良いんじゃない?」 | 企業ニュース | キャリコネ
http://careerconnection.jp/biz/buttyake/content_1654.html

10年後には技術の発達で人工知能やロボットが仕事をするようになり、失業する人間が増えるということが懸念されていますが、

技術が発達して食料とか生きるために必要な物が無料で手に入る程度にまでなれば失業することは大きな問題じゃなくなるんじゃないか

という気はします。もちろん、世界には飢えている人たちがたくさんいるので、食料無料の世界が訪れるかどうかは疑問ですが、仕事がなくても生きていけるのであれば、ロボットが人間の仕事を奪ってもいいんじゃないかと思います。

さて、単に食べるのに困らない世界が訪れたとして、仕事の必要性がなくなるかというと、もちろんそんなことはないでしょう。

  • 他の人よりもっと良いサービスを受けたい・もっといいものを食べたい

と他人との差別化を図りたいのであれば、仕事をしてもっと稼ぐ必要はあるでしょう。
そういう贅沢を特に求めない人でも、仕事をすることには意味があります。それは

  • 自分とウマが合わない人を避け、相性が良い人と仲良くなること

です。職業には貴賎はないと言われますが、人それぞれの相性により、それぞれの価値観での上下はあります。
例えば私は情報システムの仕事をしているので、情報処理に携わることに価値をおいています。その反面、建設業とかそういうものとは相性が合わないと思っています。おそらく逆もしかりでしょう。私にとって価値のある情報処理の仕事も、他の人にとっては無価値どころか嫌悪の対象となっているかもしれません。主観的な良し悪しがあるのは、やむを得ないことです。

仕事を選んで携わるということは、近しい価値観を持った人と出会い、そうでない人と遠ざかるということでもあります。

ちょっと大げさな言い方ですが、仕事をする(ただし自分で選んだ仕事であることが前提)ということは、

怨憎会苦

から逃れる手段であると考えます。「怨憎会苦」とは、仏教で言う四苦八苦のうちの一つですが、
「怨み憎んでいる人に会う苦しみ」
のことです。
自分と仕事の価値が合わない人のことを「恨み憎んでいる人」というのはちょっといいすぎですが、自分とそりが合わない人とは会いたくない人なので、そういう人と会うことが苦しみであることは間違いないでしょう。

働かなくても生きていける世界では、「怨憎会苦の回避」という意味で仕事につくことが重要になるのではないかと考えています。

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